本社勤務時代

 本社に戻ったのは、27の時――。

 北海道が良かったなぁ?なんて思いつつも、すぐ浮世の流れにいとも簡単に流される私は、五年の遅れを取り戻すべく、毎日のように銀座・六本木に発狂したかのように出没していました。
 当時流行っていたのは、日比谷にあった大箱ディスコ「ラジオシティ」。確か私の記憶が間違いなければ、あのVANを創設した故石津謙介さんがプロデュースした箱のはず。
 曲は懐かしのアースウインド&ファイアーもかかれば、バナナラマのノリノリのユーロ。場内はいつもボディコンの姉ちゃんたちが発するフェロモンで盛り上がっています。またお立ち台の姉ちゃん達のストッキングが妙にセクシーで。

「やっぱ、東京だよな?」

 もうこうなると支笏湖の神秘的な輝き、ニセコの美しさなんてものは頭の中からすっかり欠落です。それに日本中全体が活気(バブル)に溢れ、ガンガン前に進むという感じでした。
 シゴトで営業活動中に証券会社のボードをチェックしたり、あちこちで「○○買って一週間で100万儲けたよ」なんて強気のフレーズがバンバン耳に入って来ます。考えてみれば、誰もが株で儲かる時代だったんです。それでも「ひょっとして俺は株の天才?」「会社辞めて株で喰えるなぁ」と大いなる錯覚の日々でした。

 とにかく経済界全体が浮かれトンビ状態だったですね。今だったら信じられないような住宅ローン金利、6パーセント台でも物件は飛ぶように売れてました。
 当時、信託銀行のビッグという商品が、100万円を5年預けて140万で返ってくるにもかかわらず、

「貯蓄!?」

 おまえはバカか!今使わないで何時使う?金なんか後からでも付いてくる!
 まさに狂気の世相でした。

 クルマもそうです。シーマ現象が日本中を席巻し、BMW318は「六本木カローラ」と揶揄され、ビーエム乗るなら最低でも320以上。そして五木寛之さんの「雨の日は車を磨いて」に感化された大学生どもは、ポルシェを「ポーシェ」と気取って発音する始末。 
そして時流に敏感な私も負けちゃいられないとばかりに、月払い5万円 ボーナス払い25万円の5年ローンで、ソアラからサーブに乗り換えました。購入のきっかけは本当にシンプルでしたね。
当時の売れセン雑誌JJに、

「今、助手席に乗りたいクルマ ナンバー1は、品川ナンバーのサーブ――」